コロナ感染に勝てなかった山笠

コロナ感染に勝てなかった「博多祇園山笠」

諸説がある中で、博多祇園山笠振興会は一部に広く知られている聖一国師が仁浩二年(1241年)、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりという説を取っている。当時は神仏混沌の時代。これが災厄除去の祇園信仰と結びついて山笠神事として発展したというのだ。1241年を起源として2018年は777回目を数えたのである。新型コロナ感染を災厄除去として山笠が行われなかったのは非常に残念で、先人の言い伝えが実行できなかったのは何を意味するだろうか?関係者は大いに自問して頂きたい。博多祇園山笠の由来が現代には通じなかったことが今後の「歴史の由来」を揺さぶることにならないように反省すべきではないでしょうか。

恒例化した一つの行事化であり、先人の思いを台無しにした「博多祇園山笠振興会」の体質にあるのではなかろうか?本質を理解していない証であると考えても致し方が無い。安易な回避が「博多祇園山笠」の本質をゆがめたと考えられなくもない。恒例化した年中行事と思われても仕方がない。大変残念なことである。方法は考えればあったはずだ。安易に逃げたとしかわかる人にはわかる。現代の執行部の考えが統一してない単なる行事の一つだ。それが本当に正しいのだろうか?深く反省をすべきことである。


 

博多の夏の風物詩、博多祇園山笠で公開される櫛田神社の新しい飾り山が2020.7.1にお目見えした。今年の夏は新型コロナウイルスの影響で開催が見送られました。「博多のシンボルだけは作りたい」と言う関係者の思いから、1基のみ制作が実現、博多人形師の親子が「疫病退散」の願いを込めて手がけた。

追い山の櫛田入り、ここからコースに出て回り止まで舁き手が舁っいで走りぬけます。